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人穴碑塔112号基壇下出土の合子
現在、市立郷土資料館(宮町14―2、市民文化会館内)では、企画展「富士山世界遺産10周年 構成資産整備のあゆみ」を開催中です。展示会では、世界遺産富士山の10周年を記念してこれまで市で行ってきた構成資産の整備の状況や整備時に実施した発掘・文献調査の資料などを展示しています。今回は、その展示資料の中から人穴富士講遺跡の碑塔112号の基壇下から出土した蓋付きの小さな容器である合子(ごうす)を紹介したいと思います。
合子の紹介の前に碑塔112号について簡単な紹介をしたいと思います。高さ141cmを測る碑塔で複雑な意匠が施されています。
正面には、富士講が広がるきっかけとなった食行身禄の妻である「お銀」とその娘の「お梅、お満、お花」の名前が刻まれています。右側面には、建立年である「寛政五年丑年六月十七日」(一七九三年)の紀年銘が確認されています。食行身禄の富士信仰を受け継いだ娘達の名を記した特徴的な碑塔です。
このような碑塔の基壇下から出土したのが次に紹介する小形の合子です。
碑塔を修復するため一度解体した際に基壇部分より合子が出土しました。合子は大小のセットで出土しています。大きいものは破損しており、半分ほどしか残存していませんでしたが、小形のものは完形で出土しました。どちらの合子も主に植物の灰を使った釉薬である灰釉(かいゆう)が施された陶器でした。瀬戸・美濃産で18世紀後葉~19世紀前半に作られたものであると考えられます。
さらに、小形の合子には底面に「永野」の文字が墨で書かれている他、髪の毛と思われる有機物まで残っていました。
これは、私の個人的な感想になりますが、髪の毛などはその人の分身と考えられていた事もあります。当時、その場に行けなかった人のため、せめて分身としての髪の毛だけでもといった思いやりが垣間見える資料ではと考えています。
2023年8月掲載コラムのため、企画展は終了しております。