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意外な場所に埋まった歴史
滝戸遺跡で発見された埋められた土器
「遺跡」と言われると人気(ひとけ)のない広い場所や、アクセスのあまり良くない場所などをイメージする方が多いかと思います。しかし、街中などにも遺跡はあります。浅間大社も遺跡の一つで、縄文土器や古墳時代の土器などが発見されています。
このような意外な場所の遺跡について二つほど紹介していきます。
まず一つ目が、淀師に所在している、弥生時代中期(約2400年ほど前)の渋沢遺跡です。この遺跡の範囲には富丘小学校の南東部分が含まれています。この渋沢遺跡は、1982~1983(昭和57~8)年に小学校の南側の道路を作る際、発掘調査が行われています。この調査では、甕棺として使用されたと考えられる埋められた土器などが見つかった他、石斧や狩猟具である石鏃、草などの植物を刈り取るために使用されたと考えられる横刃型石器と呼ばれる石器などが見つかりました。また、令和6年には土器に残されたスタンプ状の痕「圧(あっ)痕(こん)」を分析しました。この分析の結果、野生のエノコログサ(ねこじゃらし)やツタ類の他、栽培植物であるキビやアワが確認されました。過去の調査から出土したモノや今回の分析内容から、渋沢遺跡の人々は稲作中心ではなく、畑作と狩猟採集を組み合わせた生活をしていた可能性が考えられます。
二つ目は野中に所在する滝戸遺跡です。この遺跡は第三中学校を中心に広がる遺跡で、中学校が遺跡の中心地となっています。この遺跡は過去7度の調査が行われていますが、このうち5回が中学校の敷地で行われています。最新の調査は2021年の調査で擁壁の改修に伴って行われました。この調査では、弥生時代後期から古墳時代前期(約2000~1600年前)にかけての土器や溝状の掘り込みの他、縄文土器や埋められた土器など多数のモノが発見されました。また、新たな発見もありました。今までこの遺跡では発見されていなかった縄文時代草創期(約1万4000年前)の土器や石器が確認されました。今回は草創期の住居などは確認されませんでしたが、今後も調査があれば見つかる可能性があります。
皆さんの通る道やよく行く施設などにも知られざる歴史が埋まっているかもしれません