世界遺産富士山
2020年03月03日掲載
史跡富士山 / 特別名勝富士山
富士山山頂には、富士山本宮浅間大社奥宮・浅間大社東北奥宮(久須志神社)や金明水・銀明水等の宗教施設があり、地形のなかには内院(火口)や安河原(賽の河原)等の宗教的な名称がつけられた所がある。また、火口壁にある剣ヶ峯や白山岳、久須志岳等の峰々は「八葉」や「八峰」と総称され、かつて山頂部は曼荼羅世界に擬えて考えられていた。
平安時代末期に富士山への信仰登山が開始されると、中世には修験者及び一般の信仰登山者(道者)が登るようになり、江戸時代には、関東を中心に富士講の講員も多数登山するようになった。登山者は、山頂で「御来迎(仏の来迎と見なされたブロッケン現象)」または「御来光(日の出)」を拝んだり、内院に鎮座する神仏を拝んで散銭(賽銭)をしたり、山頂部の宗教施設等を巡拝する「お鉢めぐり(八葉めぐり)」を行ったりした。
12世紀中ごろの修行僧末代は、山頂に大日寺を構え経典を埋納したとされる。末代以降も山頂において堂社の造営や懸仏・仏像等の奉納や経典の埋納が行われ、近世には大宮・村山口山頂に大日堂が、吉田口・須走口山頂に薬師堂が造営された。近世の登山案内書である「富士山真景之図」や「富士山明細図」には、山頂部に多数の仏像や堂社が並ぶ様子が描かれている。
明治7年(1874)、富士山の廃仏毀釈が行われ、山中の仏像は撤去され、仏教的地名は神道的なものへ改称された。また、大宮・村山口山頂の大日堂は浅間神社(現富士山本宮浅間大社)奥宮、吉田口・須走口山頂の薬師堂は浅間神社(現富士山本宮浅間大社)東北奥宮となった。
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神として祀る。元は富士山興法寺(こうほうじ)を形成する大日堂であったが、神仏分離令により仏像を取り除かれ跡地を浅間大社奥宮として管理されることとなった。
7・8月の開山期には、神職が奉仕しているが、9月の閉山祭以後は、翌年の開山まで無人となる。
浅間大社奥宮の末社で、大名牟遅命(おおなむち)、少彦名命(すくなびこなのみこと)を祀る。須走口登山道、吉田口登山道頂上にある。室町時代以降、頂上の一つである久須志岳(旧薬師嶽)に薬師堂があり、道者の登山切手を改めた。古くは山役銭の徴収場であった。 薬師堂は奥宮の場合と同様に廃仏毀釈により破却され、久須志神社と改称した。
富士山には、各登山道が頂上に達する地点をはじめ9箇所に鳥居がある。建立年代の不明なものが多く、すべて木材で作られている。
峰の頂に立っている鳥居は、峰自体が神聖なものであることを示していると考えられる。高さは1.3m前後のものが多く、人がくぐることは想定されていないものと考えられる。
山頂部には、明治初めの廃仏毀釈後に破壊された仏像が多数残されている。
(写真解説) 三島岳の麓、かつて経塚が発見された付近に、10体の石像が安置されている。いずれも頭部が欠損している。
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