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富士宮市について

副市長コラム(平成30年度)

2019年01月25日掲載

平成30年度の副市長コラムです。

渡邉英彦さんの逝去を悼む(31.1.25)

英彦さんのお別れ会

 渡邉英彦さんとのお別れの会が先日行われました。
 全国から1,000人を超える方々が参列し、最後のお別れをしました。美しい花々で造られた大きな富士山の祭壇の前で微笑む英彦さんの遺影を前に、私は、改めて彼との思い出や、偉大な功績に思いを馳せました。
 私が渡邉英彦さんと初めて会ったのは、今から19年前の平成12年(2000年)、当時私は企画調整課長でした。 
 これといって特色のない富士宮市の市街地をなんとか賑わうようにしたいということから、市民団体や有志に呼びかけて、「中心市街地活性化ワークショップ」を行いました。10くらいのグループで様々なアイディアを検討し合いましたが、ほとんどは、有名店を誘致すればいい、市が予算をつければいいといった提案でした。その中で英彦さんがリーダーのグループは、「行政予算0のまちづくり=市民・住民による賑わいづくり」といった内容のプレゼンを行い、大変印象に残りました。その後、このメンバーが中心となって富士宮焼きそば学会が発足しました。
 もちろん会長は英彦さん、ほとばしるアイディアと発信力、言語力、表現力で、富士宮焼きそばを全国に広げました。焼きそばG麵、三者麵談、天下分麵の戦い、大びんじょう(焼きそばブームに便乗した日本酒)などのオヤジギャグを連発し、暗くなりがちなまちおこしを明るく楽しくワクワクする取り組みに作り上げ、マスコミで大きく取り上げられました。市役所には連日テレビカメラやお笑い芸人がノンアポでやってきて、いきなりマイクを向けられたことが思い出されます。

B-1グランプリ

 これを契機に富士宮焼きそばを求めて、はとバスが来るようになり、マップを持った人たちがまちなかの焼きそば屋に押しかけ、お店の人は腱鞘炎になったそうです。このユニークなまちおこしは全国に知られ、ついにはB級グルメの全国大会B-1グランプリに発展しました。そして富士宮市は、2年連続でグランプリを獲得し、「殿堂入り」となりました。
 それまでは、「富士宮市」を「ふじみやし」と読まれたり、どこにあるまちかも知られていませんでしたが、今や全国どこに行っても「あの富士宮(ふじのみや)焼きそばのまちですね」と言われるようになりました。これら富士宮やきそばによる直接、間接の経済効果を換算すると500億円以上と言われています。
 渡邉英彦さんは、まさしくまちおこしの「天才」であり、世界遺産のまちづくりを進める富士宮市にとって、これから最も必要な人材でした。しかし、3年前から病魔に襲われ、昨年12月に59歳の若さで旅立ってしまいました。
 富士宮市の歴史において、偉人とされる方は大勢いますが、渡邉英彦さんほど富士宮市の名を高め、目に見える形として、数字として「実証的」に市の発展に貢献された方はいないと思っています。
 本当に残念でなりません。
 ご冥福をお祈りします。

ふじのみやハハラッチ3期生修了式

ハハラッチ修了式

「ハハラッチ」って知っていますか?
 富士宮市では、子育てをしているお母さん目線で、富士宮市の情報発信をお願いしています。そのライターとなっていただいているお母さんたちが「ハハラッチ」です。ハハラッチとなるためには、取材の仕方、写真の撮り方、記事の書き方などについて養成講座を受けていただいています。
 このハハラッチ事業も今年で3年目、すでに1期生8人、2期生7人にハハラッチとして活躍していただいています。そして、この度、全6回の養成講座を終え、第3期のハハラッチ6人のお母さん方の修了式が行われ、修了証書とともに、ハハラッチの名刺と腕章をお渡ししました。
 さて、ハハラッチの皆さんの記事ですが、子育てで奮闘中のお母さんならではの視点からのレポートや臨場感あふれる写真など、新鮮で楽しく読むことができます。内容的にも、お出かけ、ショッピング、グルメ、イベント、子育て、ベビーステーションなど9のジャンルにすでに170本のレポートが発信されています。
 これらの情報は、主には子育て中のお母さんやお父さんに向けられたものですが、それ以外の方々にもぜひ読んでいただきたいと思います。
 かく言う私も今回の修了証書授与の機会に初めてハハラッチのホームページにアクセスしたので偉そうなことは言えませんが、個性豊かなハハラッチさんの記事に感動しました。子連れで出かけるお母さん方がどんなことに関心を持ち、気を配り、苦労し、また楽しんでいるのか、大変興味深く、新たな発見がたくさんありました。
 特に、市のイベントや公園などの公共施設(特に遊具やトイレ)についてのレポートは、それらを企画したり、設計したりする市職員にとって、最高のPDCA(計画・実行・評価・改善)の評価であり必読です!
 1期生、2期生にさらに3期生のハハラッチの皆さんが加わって、子育てを通してどんなレポートが発信されるのか、大変楽しみです。
※ インターネットで「ふじのみやハハラッチ」で検索してみてください。

副市長3期目が始まりました。

副市長写真

 平成22年4月、思いもかけず副市長の職を拝命してから8年が経過しました。今年の8月で満68歳になります。次はどなたかにバトンタッチをと思っていましたが、須藤市長から「引き続きこの体制で行くぞ!」と言われ「はい!」と答えてしまいました。
 3月13日の市議会最終日に、副市長選任の議決をいただき、4月2日に市長から辞令書の交付を受けました。過去、富士宮市政で3期目の副市長(旧助役)はいません。よし頑張るぞ!という気持ちとともに、自分の時代感覚で果たして務まるのだろうかという不安が重くのしかかってきています。
 私が市役所に入ったのは45年前の昭和49年、昭和の真っ只中。世の中が大きく変わりつつあり、ソロバンが卓上計算機へ、タイプライターがワープロへ、さらにパソコンのワード、エクセルへと変わり、平成3年、新庁舎に移り、一気にコンピューターの時代となりました。そしてバブル経済の崩壊、地方財政危機、給料の削減などを経験しつつも、富士宮市はなんとか激動の時代を乗り超えてきました。
 こんな時代を生きた私は、良くも悪くもアナログ人間です。グローバル化が進み、すぐそこまで来ているAIの時代に、副市長として的確な判断をどうやれば行えるか自問しています。
 しかし、富士宮市には優秀な職員が大勢います。私の足りない部分は、彼らの知性と新しい時代感覚をどんどん引き出すことにより、新たな施策を創造できると確信しています。
 今、富士宮市は、須藤市長の強力なリーダーシップのもとで、富士山・世界遺産のあるまちとして大きく羽ばたこうとしています。
 「最後のご奉公」として、その実現に少しでも役に立てるよう頑張りたいと思います。

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