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どうなる、富士宮?─家康が生きた時代をたどる─

2023年05月20日掲載

徳川家康が生きた戦国時代の富士宮について、古文書などの資料をもとに紹介します。


どうなる、富士宮?─家康が生きた時代をたどる─

会期

前  期:令和5年5月20日(土)~6月11日(日)
特別展示:令和5年6月14日(水)~6月18日(日)
後  期:令和5月6月22日(木)~7月10日(月)
休 館 日:6月12日・13日・19日~21日

概要

第1章 どうなる、河東一乱

 天文6年(1537)2月、駿河国の河東地域(富士川以東)は争乱の中にあった。相模国の北条氏綱が今川氏領の駿河国へと侵攻を開始したのである。これには理由がある。前年に今川氏の家督を継承した義元は、長年敵対していた甲斐国の武田氏と同盟を結び、武田信虎(信玄の父)の娘を妻とした。これにより、今川氏と北条氏が手を結び、武田氏と敵対していた今までの構図が一変した。この河東地域をめぐる今川氏と北条氏の争いを河東一乱と呼ぶ。
 富士上方(現富士宮市域)も戦場となり、小泉久遠寺などで被害が出た。また乱開始当初、大石寺や北山本門寺には北条氏の禁制が出された。禁制とは、寺社などが安全保障のために申請するもので、この地域に北条氏の影響が及んでいた様子が分かる。
 しかし、今川氏による富士上方への文書発給も確認できるようになり、徐々に支配を回復していったと考えられる。そして天文14年(1545)7月、今川義元は駿府を出陣して富士川を越え、8月には三島まで攻め込んだ。その後、今川氏と北条氏は、武田氏の仲介で和睦し、今川氏は河東地域の支配を回復した。天文23年(1554)、今川・武田・北条3氏の関係は婚姻の絡んだ三国同盟へと発展し、河東地域に安定をもたらした。

第1章

今川義元判物 今川義元判物(特別展示、個人蔵)

第2章 どうなる、駿河侵攻

 永禄11年(1568)12月、富士上方は武田軍の侵攻により、再び戦乱に巻き込まれようとしていた。永禄3年(1560)の桶狭間合戦で今川義元が戦死し、今川氏の勢力には陰(かげ)りが見られるようになった。また、氏真が越後国の上杉謙信との連携を目指したため、今川氏と武田氏の同盟は崩壊し、武田信玄の駿河国侵攻へと至った。
 武田軍は富士川沿いに南下して駿河国を攻撃し、12月13日には今川氏の本拠地である駿府に進んだ。しかし、今川氏支援のため北条軍が出陣したことや、富士信忠が大宮城に立て籠り抵抗したことにより、武田軍は窮地に陥った。中でも信忠は武田軍分隊の攻撃を2度退けるなど活躍し、後に今川氏真からその功績を称賛されている。
 信玄は甲府に撤退して態勢を立て直し、再度駿河国へ出陣した。信玄自ら率いる武田軍の攻撃を受けた大宮城は、「屋敷同然」の城ながらよく持ちこたえたという。しかし、最終的に信忠は降伏し、大宮城を退去した。その後、信玄は駿河国を手中にした。
 武田氏の駿河国支配は勝頼(信玄の子)の代にわたり10年以上続くことになる。武田氏は富士上方においても、浅間大社の造営や大宮城の改修、交通制度の整備など、様々な足跡を残している。

第2章

武田家朱印状写 朱印状写由緒書(武田家朱印状部分、前期・後期、上井出区蔵)

第3章 どうなる、甲州征伐

 天正10年(1582)2月、武田氏領国は危機を迎えていた。信濃国の木曽義昌の裏切りをきっかけに、織田信長が武田氏領国の攻撃を決断したのである。駿河国は西から徳川家康、東から北条氏政の攻撃を受けた。北条軍は浅間大社をはじめ、本栖まで焼き払ったという。これらの攻撃により、戦国大名武田氏は滅亡し、駿河国は家康に与えられた。なお、戦後処理を済ませた信長は、富士山を見物しながら中道往還を下り、本拠地である安土へ帰還している。
 平安がもたらされたかに見えたが、同年6月、京都の本能寺で信長が明智光秀の裏切りに遭い、横死したことにより事態は一変する。その混乱は甲斐国・信濃国にも及び、武田氏の旧領国をめぐる家康と北条氏政の争いが勃発した(天正壬午の乱)。戦いは甲斐国を中心に行われたが、10月には和睦が成立し、家康は三河国・遠江国・駿河国に加えて、甲斐国・信濃国を領国とした(五ヵ国支配)。
 しかし、度重なる戦乱により富士上方の人々は疲弊しており、家康は新たな領国の立て直しに乗り出すこととなる。この時に家康と結ばれた関係は、江戸時代を通じてこの地域人々の思考や行動にも大きな影響を及ぼした。

第3章

徳川家康朱印状 徳川家康朱印状(特別展示・後期、上井出区蔵)

関連イベント

特別展示解説(終了しました)

講師:文化課学芸員
日時:令和5年6月17日(土)10:00~、14:00~(各30分程度)
申込:不要、直接会場へお越しください。

特別講演会(受付終了しました)

講師:山田邦明氏(愛知大学文学部教授、市史編さん委員)
日時:令和5年7月2日(日)14:00~16:00(13:30会場)
会場:富士宮市民文化会館展示室3
定員:50名(先着順・要申込、定員に達しました)

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 文化課 市史編さん室

〒418-8601 静岡県富士宮市弓沢町150番地(市役所6階)

電話番号: 0544-22-1187

ファクス: 0544-22-1209

メール : e-bunka@city.fujinomiya.lg.jp

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