静岡県富士宮市
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「子安信仰」展
2013年08月30日掲載

昔から、出産・育児は大切な事柄であり、安産や無事な成長を神仏に祈ることが熱心に行われました。富士宮市内でも子安信仰は盛んに行われ、いくつもの子安講が組まれてきました。ここでは、市内の子安信仰の寺社・石造物等やその信仰習俗を紹介します。
1 様々な子安信仰
子安信仰とは
出産・育児は大変なことであり、かつては難産の末に亡くなる者や幼いうちに亡くなる者も多かった。このため、安産や子授け・子育てを神仏に祈願することが熱心に行われた。子安信仰の形は様々であり、子安神・コノハナサクヤヒメや地蔵・鬼子母神などの神仏だけでなく、樹木や、時には産婆なども信仰される。
富士宮市内でも子安信仰は盛んである。杉田子安神社(杉田)や大岩子安神社(大岩)をはじめとする「子安神社」のほか、石祠や子安地蔵も子安の神仏として祀られる。また、村山浅間神社(村山)や本光寺(黒田)のイチョウの木には乳授けの信仰があり、福石神社(元城町)や上井出・安居山の道祖神には子捨て・拾い子の信仰がある。羽鮒では腕の良い産婆を子安神として祀る。
集落で子安講を組む場所も多く、女性たちが集まり、掛軸をかけて拝んだり飲食をしたりした。
大岩
大岩子安神社(大岩)
瓜島
子安観音(内房・瓜島)
村山
村山浅間神社のイチョウ(村山)
朏島
子安像(羽鮒・朏島)
2 産育のねがい
道祖神と子ども
道祖神(※1)は古い道筋や集落の境などに祀られ、行路安全の神や疫病を防ぐ神、夫婦和合や子孫繁栄のほか、子供の守り神として祀られることも多い。
道祖神の祭りとされるどんど焼きは、かつては子供が中心となって行った。この日は道祖神が子供を守ってくれるといい、夜遅くまで遊ぶことを許されたという。また、赤子の夜泣きがひどいときは道祖神にお参りすると治るといわれ、唐辛子やお線香を持ってお参りに行ったという地域もある。道祖神の前に捨て子をし、子供の厄落としをしたというところもあり、道祖神は多くの子供の成長を見守ってきたといえる。
※1 道祖神
道祖神
捨て子をした道祖神(安居山)
道祖神
夜泣きを治す道祖神(粟倉)
太鼓石と撥石(ばちいし)
猪之頭の遠照寺の境内には、太鼓石・撥石と呼ばれる石がある。太鼓石とは内部が空洞になった石(溶岩樹型)で、そのかたわらには撥石と呼ばれる石棒がある。これらは陰陽石を祀ったものとされる。陰陽石には、子授けや安産、豊穣を祈願するものもある。
かつては、この太鼓石の穴に女児をくぐらせる風習があった。これは、伝染病の予防や、成人してからの安産祈願だといわれていた。
太鼓石と撥石
捨て子と拾い親
市内では、生まれた赤子を箕に入れて道祖神の前などに一旦捨て、事前に頼んでおいた他の家の人に拾い上げてもらうという捨て子の風習があった。赤子を捨てる場所は、道祖神のほか、寺・神社の前や集落の辻などであった。捨て子をするとその子供は丈夫に育つといわれ、特に親が厄年であったり、過去に子供の不幸があったりした人が行った。拾い手となった人(拾い親)と捨て子とは一生の縁となり、実の親と同様に付き合ったという。
これは、子を捨てることで一旦親子の縁を切り、親の厄が子に移らず無事に育つように願ったものと考えられる。
福石神社
福石神社
元城町にある福石神社の拝殿内には「福石子育市大明神」の扁額があり、安産・子育てを第一の信仰としている神社である。また、毎年7月31日に茅の輪くぐりが行われることから、「わくぐりさん」とも呼ばれる。
福石神社は、捨て子の場所として知られていた。ここに捨てられた子供は「神の申し子」といわれ、丈夫に育つといわれた。福石神社では、捨て子をしたら、親は決して振り返ってはならなかったという。また、拾いあげる家は決まっていて、赤子をもとの家に返すときはお祝いに扇子一対を添えたという。この風習は大正時代ころまで行われていた。
福石神社扁額
―福石神社のわくぐりさん―
福石神社では、毎年7月31日に「わくぐりさん」(茅の輪くぐり)が行われる。福石神社では、入口と出口の2本の茅の輪が据えられる。神社の役員に続いて区内の子供たちも茅の輪をくぐり、無病息災を祈る。福石神社は子育ての神であり、区内だけでなく周辺の地域からも親に連れられた子供たちが茅の輪をくぐりに訪れる。かつては、屋台や紙芝居が来て、大変賑やかであったという。
茅の輪
茅の輪
わくぐりさん
わくぐりさんの様子
3 杉田子安神社と子安講
杉田子安神社
富士宮市杉田に所在する杉田子安神社は、安産・子育ての神として、市内だけでなく周辺地域からも信仰を集める。神社の創建は文政年間(1818?1830)とされ、「安」という女性を子安霊神として祀る伝承が伝わっている。杉田子安神社を信仰対象とする子安講も多く組まれ、祭礼の日には連れ立って参拝に来る女性たちや代参者で賑わったという。社殿に掲げられている大絵馬には、「北山村辻組女講中」や「山宮村宮内組女講中」など市内各地域の子安講の名が記されている。
神社には、安産・子授けのお守りとして「ほうこうさん」(這子さん)という素朴な人形が奉納される。また、お産が短時間で済むとして短い蝋燭を貰い受けることも行われた。
杉田子安神社
杉田子安神社 社殿(杉田)
北山絵馬
杉田子安神社に奉納された絵馬(旧北山村辻組の女講中が奉納)
ほうこうさん
ほうこうさん
ろうそく
短いろうそく
―杉田子安神社の由来―
神社に伝わる「履歴書」(年不詳)と「縁起書」(明治三四年(1901))には、次のような子安神社の由来が語られている。
子安霊神(安)は、甲斐国八代郡佐野村(現山梨県南部町)の生まれで、寛政七年(1795)に父親が旅に出て行方不明になったため、甲斐国都留郡河口村(現山梨県富士河口湖町)に十五年季で奉公に出された。十年間良く働いていたが、嫁入り前に懐妊したため悪評が立ち、それを気に病んで、文化二年(1805)、湖に身を投げてしまった。そうして亡くなり霊となった後、奉公の残る五年間は霊のまま勤め先の家を守り、年季が明けてからは両親の供養と妊婦の守護のために日本全国の社寺を廻った。文政四年(1821)、子安霊神は父親が葬られていた杉田に来て、信心深い杉田村の女性に憑依し、自分を祀るように言った。そこで村役人たちは相談し、領主の許可を得て、「子安」として祀ることにした。
『角田桜岳日記』には流行り神として当時信仰を獲得しつつある様子があり、『袖日記』には家人の女性が出産前後に熱心に参詣する様子が記されている。少なくとも幕末期には杉田子安神社が信仰されていたことが分かる。
子安霊神像
杉田子安神社の信仰圏
杉田子安神社には、明治二五年(1892)の本堂建築、大正十三年(1924)の納骨堂建築、昭和十一年(1936)の社務所建築にかかる寄附名簿などが残されている。これらの資料には、参拝者だけではなく「世話人」が記されていることも多く、各地に杉田子安神社を信仰対象とする子安講が組まれていたことが分かる。これらの資料から、神社の信仰圏をうかがうことが出来る。
杉田子安神社は富士宮市・富士市の市境近くに位置し、両市に信仰の濃い分布を見る。加えて、富士山東麓の須山村(現裾野市)や原里村・富士岡村(現御殿場市)、駿河湾沿岸の戸田村・土肥村(現沼津市)にも信仰が見え、その信仰圏は広範囲に及んでいた。また、東海道筋では東は錦田村(現三島市)から西は興津町(現静岡市清水区)まで分布しており、東海道や十里木街道などが伝播のルートとして想定される。
南松野絵馬
杉田子安神社に奉納された絵馬(旧庵原郡南松野村の女講中が奉納)
寄付名簿
寄付世話人連名簿(明治二五年)
子安講
主に安産祈願のために女性が組んだ講で、出産適齢期の女性が時には子供を連れて集まり、唱え事をしたり食事をしたりした。地域の交流・楽しみの場でもあった。
市内では、集落単位で講を組み、当番の家を会場とすることが多い。子安霊神や題目曼荼羅の掛軸を本尊として掛け、味御飯(醤油味の炊き込み飯)などを供えて拝み、題目を唱えたりする。講員は米や金銭を出し合い、当番が用意した食事で会食する。講によってはお嫁さんだけが参加する場所もあり、食事やおしゃべりを楽しむ息抜きの意味合いも強かったという。
講の日取りは、杉田子安神社を信仰する講では、神社の祭礼の前日(4月9日・10月9日・1月9日)が多い。講の翌日、連れ立って杉田子安神社に参詣に出かけたり、代表者が代参したりしたという。
掛軸
子安講の掛軸(北山・貫間のもの)
掛軸
子安講の掛軸(北山・貫間のもの)
■お問い合わせ
教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター
〒419-0315 静岡県富士宮市長貫747番地の1
電話:0544-65-5151
ファクス:0544-65-2933
メールアドレス:maibun_center@city.fujinomiya.lg.jp
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