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3 御神幸道

2011年05月31日掲載


1 御神幸道と丁目石
御神幸道というのは、神様が里宮と山宮を往来する道のことで、湧玉池の畔に「自当社山宮御神幸道五十丁証碑首也」と刻まれた石碑がある。これは、浅間大社から山宮浅間神社に至る道筋に、一丁目(約109m)毎に建てられた標石の首標である。この首標より神田川の石橋を渡り、左折して登山道を北に向かい、渋沢手前の細道を東に向かうと馬車道との交差点に「神幸道三丁目」の標石が立っている。このような丁目石をたどれば、浅間大社と山宮浅間神社を結ぶ昔の道、御神幸道を知ることができる。
しかし、現在では御神幸道に沿って三丁目の標石と、山宮に入ってすぐの四十二丁目(移動されたものか)と、通称三角屋交差点の西側の沢の右岸沿いに、山宮浅間神社に向って四十六・四十七・四十九丁目の標石が残されているのみである。他には、元の場所から移動させられた標石が、矢立町に十四丁目・四十□丁目・山宮の蒲沢に四十□丁目が確認されている。 

2 御神幸道の順路
御神幸道を知るもう一つの手がかり、『大宮町誌』と『浅間神社の歴史』をもとに順路をまとめると以下のようである。
「社殿から出御し楼門を出て御休石(楼門前の鉾立石)の上に着御する。そこより馬場を東へ進み、馬場の石垣の尽きる所で左折し、小川に架かる行事橋という小石橋を渡る。次に右折して神田川に架かる神幸橋という屋形橋を渡る。そこを左折して、福石神社北裏の御旅所の森に出る。そこより斜めに小坂を上り、別当村の南端で右折して東に向かい、渋沢を渡って地蔵橋より若之宮に通ずる里道を横ぎり村山道に出る。そこにかくれの森の御旅所(藤ノ木御休 所)があり、そこから北に向かい万野原の南境に舞々木の御旅所がある。次に宮原の御旅所、次に一本椚の御旅所を経て山宮御迎坂にいたり、山宮着御となる。」
この順路と丁目石を手がかりに御神幸道をたどると、浅間大社を出て神田川を渡り、福石神社(輪くぐり神社)の北側から斜めに上り、富士宮信用金庫本部の南側に出て、神田山神社の辺りで地蔵橋(スーパーよどばし東店の東側)から若之宮浅間神社へ登る道を横切り、阿幸地へ出る。そこより、村山道(旧登山道)を舞々木へ上り「右富士山道」の道しるべを左に進み、現登山道のフジマキ万野店辺りに出る。そこからは、現登山道に沿ってその西側を上っていく。山宮に入ってすぐ現登山道の石川米穀店の北側の道を入った所に四十二丁目の標石があがる。この標石のある所は、明治23年の地図によると粟倉へ出る道筋で山宮方面に向う道が判然としないことと、この標石から山宮浅間神社までの距離が丁目数と一致しないことから、移動されてきたものと思われる。御神幸道は現登山道の西側沿いに上り、山宮浅間神社に達している。

3 山宮御神幸
山宮御神幸というのは、『浅間神社の歴史』によると、未の刻(午後2時)に本宮で神事が始まり、神の憑る鉾を木の行事という役職の人が左肩に載せ、途中肩を替えることなく山宮へ向かった。山宮まで何回か休むので、鉾は御休石の上に敷柴(榊)をして、その上に安置した。今、浅間大社楼門前と山宮浅間神社参道に残る鉾立石が御休石である。山宮に着くと神事が行われ、その夜丑の刻(午前2時)に還幸となった。「深更なれど燈火を用いず」とあるので、暗い夜道を還ったのであった。御神幸は一般的に「夜無言無燭」とか、昼の場合は「沿道の家々戸を閉ざす」という斎忌の厳しさが通例であるように、山宮御神幸も夜の還幸であった。
山宮御神幸は、明治6年まで4月と11月の初申の例大祭の前日、未の日に行われていたが、以後は行われていない。

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