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6 身延道

2011年05月31日掲載

身延道について掲載しています。

1 身延への道 

身延山は、日蓮宗の本山で全国各地の信者が参詣に訪れていた。
富士宮市域には、現在身延道といわれている道が3本ある。

その1
深沢安兵衛の残した道しるべに従う、黒田から星山を通り沼久保へ出て(大宮からは安居山を経て沼久保へ)、つり橋(芝川町釜口)を渡り富士川右岸に進むルート。(吉原方面の人々は、天間から山本へ出てこのルートを通ったものと考えられる。)

その2
大泉寺から安居山東漸寺に向かい、西山本門寺を通り、稲子・十島と富士川左岸を進み、井出辺りで富士川を越えるルート。

その3
大中里から柚野へ出て桜峠を越え、稲子から石神峠(地蔵峠)を越え佐野へ出て、さらに佐野峠を越えて内船に出るか、佐野の峠からさらに大島峠を越えて大島へ出て富士川を渡るルート。
また、身延の本遠寺前から沼久保へ船で下るルートも利用されたようである。江戸時代の富士宮市周辺の人々は、これらのルートを通って身延山へ向かったようである。

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2 深沢安兵衛の道しるべ(手ひき)

深沢安兵衛は、星山村の深沢家9代目で、星山村名主として江戸時代の文化・文政のころ用水路を開いたり道しるべ(手ひき)を建てたりなど、村政に力を尽くした。安兵衛の建てた道しるべは、山本から黒田・星山・沼久保に至る道筋と、黒田から野中・大中里の峠に至る道筋にあり、身延道の道しるべが多く見られる。現在は、星山を中心に27基の道しるべが確認されている。これらは、文化・文政・天保年間(1804~1843)に百基以上も建てられといわれるものの一部である。現在確認されている27基の道しるべの内、昔からの位置に立っていると思われるものは9基だけで、他は道の付け替えや拡幅などにより位置を変えてしまっている。

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3 身延への道しるべ

日蓮宗寺院とかかわって、題目塔(南無妙法蓮華経の文字塔)の一部に「右みのぶ」などと刻まれた道しるべが、野中の大泉寺や芝川町上柚野の桜峠などに建てられている。また、沼久保地区には身延道の道しるべが4基あり、安居山には、「右 大宮 よしわら道」「左 □□」と刻された双体道祖神と、「右 つりはし」「左 大ミやミち」と刻された文字道祖神がある。

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電話番号: 0544-65-5151

ファクス: 0544-65-2933

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