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3-(1)-ア 伝・角田桜岳製作の地球儀

2011年05月31日掲載


地球儀

郷土資料館では、角田桜岳が作ったと伝えられる地球儀を2点所蔵しています。1点は東京都に在住していた桜岳の曾孫にあたる方から寄贈されたもので、もう一点は市内に残されていたものです。これらは同じもので、直径約20cmの張子製の球体に木版刷りの世界地図を貼り付けたものです。
地球儀球面に、「松木愚谷閲・高木秀豊校・三木一光斎図・江川仙太郎刀」と製作に関わった人物の名前が記されています。三木一光斎は歌川芳盛という江戸末期の浮世絵師で、当時何点かの地図を描いています。江川仙太郎は、安政2年(1855)に沼尻墨僊が製作した「大輿地球儀」の地図を彫った人物です。松木愚谷・高木秀豊については、どういう人物か分かりません。
また、内側に「十五番」と書かれています。これが製造番号であるならば、相当数の地球儀が製作されたものと思われます。
これと同じ地球儀は、佐倉市にある国立歴史民俗博物館と、島津斉彬の遺品を収納する鹿児島市の尚古集成館に保管されています。

3-(1)-イ 『地球儀用法略』と佐野与市(桜岳)

この地球儀の収納箱が1点同時に寄贈されました。その収納箱の蓋裏面に『地球儀用法略』という地球儀の使用解説書が貼られていて、
「安政三年丙辰仲冬
谷邦楼蔵板
江戸 杉本宇兵衛
駿河 佐野 与市 発」
とあります。この収納箱と地球儀が同時に製作されたものであるとすると、地球儀が製作されたのは安政3年(1856)となります。
また、『地球儀用法略』は、谷邦楼が蔵板していたものを江戸の杉本宇兵衝と駿河の佐野与市(角田桜岳)が共同で発行したと考えられます。
この地球儀を製作したのは球面に記載されている四人の者ですが、『地球儀用法略』には「駿河佐野与市」の名前が見られ、桜岳が地球儀の製作・普及に関わっていたことが推定できます。今後の桜岳日記解読を通して、桜岳の交友関係を調べていくことによって、地球儀と桜岳の関連が解明されるものと思います。
なお、万野原新田在住の角田万幸氏は、角田桜岳製作と伝えられる地球儀を1点所蔵しています。これは張子製の球体に手書きの世界地図を貼り付けたものです。桜岳が製作したという確証は得られませんが、地球儀と桜岳の関連を裏付けるものとして注目されます。

お問い合わせ

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ファックス番号: 0544-65-2933

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