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大宮城出土の皿と碗 -富士系カララケの提唱-

2011年05月31日掲載


富士宮市立郷土資料館通信№2(2010.10)
〔富士山信仰の考古学vol.1〕

1.はじめに

富士宮市内には、数多くの浅間神社が点在していますが、それぞれは近年、富士山信仰に係る信仰の遺跡として理解されるようになり、遺跡の側面から、これらが考古学的な調査研究の対象となっています。昭和59年に始まる現在の大宮小学校を中心として広がる大宮城跡に対する発掘調査を皮切りに、浅間大社遺跡や人穴、村山浅間神社遺跡の調査が続き、平成20年の山宮浅間神社遺跡における発掘調査が最新の調査成果として公開されています。これらの発掘調査の成果により、歴史的に不明な部分が多かった古代の浅間神社の移り変わりについて、もう一度見直そうとする機運が高まってきています。浅間神社がそれぞれいつ創建されたのでしょうか。発掘調査で出土している土器類から分かる年代は、これまでに一般的に考えられてきた神社の年代観と大きく食い違うこととなっています。発掘調査によって得られた資料が、遺跡の本来の姿を表すものとすると、神社の創建年代については、もう一度考え直す必要があります。
また、神社の信仰儀礼が現代まで受け継がれる中で、神社がどのような形で地域を支配しながら、祭礼を執り行っていたのか、これらの点についても、出土遺物の変遷から徐々に解明されるようになっています。
ここでは、15世紀における浅間神社出土の特殊なカワラケ(土師器皿)を紹介することで、富士山信仰に係る浅間神社の特筆される独自性について考えてみることにします。

図1第1図 沢東遺跡出土カワラケ実測図

2.遺跡

富士宮市の大宮に位置していた大宮城跡の発掘調査では、12世紀~16世紀の城館跡が発見されています。城館としては、堀跡、溝跡、建物跡などが見つかっており、当時の城館としての建物の一端が明らかにされています。各種の施設の発見とともに、これらの遺構からは、中世の陶磁器や土器などが多量に出土しています。中でもカワラケと呼ばれる土器の占める割合が非常に多いのが特徴です。
大宮城跡の建物に係る排水路としての溝4からは、すべてロクロで製作された様々な大きさのカワラケが出土していました。また、掘2とした城館を囲む堀跡からの出土品にも注目されます。溝4の出土品と同様の内容を示すものですが、それら以外に、直接、京都から持ち込まれたと考えられるロクロ成形ではない白色のカワラケも一定の数出土していました。16世紀代に城の改修が進み、改修に係る堀跡としての堀2からは、カワラケばかりではなく、陶磁器類も数多く出土していました。それらの出土品は、大宮城が廃城に追い込まれる年代、天正10年(1582)以前のものであり、16世紀の中頃のものが主体的に認めらました。
富士宮市の中ほどを流れる潤井川の下流域にある富士市沢東A遺跡で発見された径50㎝程度の土坑から数多くのカワラケが発見されています。それらは、ほぼ同じ大きさで、同じ形をしていました(第1図)。この土坑からは、数多くのカワラケと共にカワラケに覆われるように11個の銭貨が集中して見つかっています。
銭貨は、永楽通宝、朝鮮通宝と9枚の北宋銭からなるものです。これらの銭貨の中で、特に、注目されるのは、それぞれの銭貨が初めて作られた年、つまり、永楽通宝が1406年、朝鮮通宝が1423年となっている点です。このことから推測されるのは、同時に出土しているカワラケの年代、一番古くなるとして、1423年を越えることがないものと理解されることです。
大宮城跡の溝4、堀2及び沢東A遺跡土坑から出土しているカワラケは、同じ手法で作られ、同じ形を示しています。それは、ロクロを使用して製作され、底部の外側に特徴的なロクロと土器を切り離す糸きりの跡を残します。形は、ラッパ状に外方向に開くか、底に近い部分が内側に弧を描き、縁辺りを外側に緩やかに曲げています。成作に使われる粘土は、非常に精製されて細かく、雲母を含むなどといった特徴が認められます。
さらに、このカワラケは、大小いろいろな大きさのあることも判明しています。大きさは、大きく3種に分けて捉えられています。いろいろな大きなものがあることは、饗宴(宴会)で使われたお膳の上に載せられた食器類の大きさを端的に表すものとなります。
このような特徴を持つカワラケの出現時期は、大宮城跡や沢東A遺跡の発掘の調査成果などにより、15世紀後半に求められるものです。そして、それが使われなくなり、大量に廃棄されるのは、大宮城が廃城に追い込まれる段階、16世紀後半だったのではないかと考えています。その変遷を辿ると、約100年間に亘り使われていたことが分かります。

図2第2図 諸国のカワラケ

3.富士氏のカワラケ

大宮城や沢東A遺跡から出土しているカワラケは、大宮城のある大宮周辺の各遺跡で発見されている特徴的なものであることが、最近の研究で明らかになっています。つまり、それは、大宮城あるいは浅間大社のカワラケであり、富富士大宮司富士氏が使った特有のカワラケだったと言えるものです。戦国時代に花開く地域限定のカワラケの登場とも言えるものです。
当時、群雄割拠していた周辺の地域領主が使っていたカワラケが、どのようなものであったのでしょうか、気になるところです。第2図として、戦国時代、16世紀の富士氏、今川氏、武田氏、北条氏のカワラケを載せてみました。一見して、それぞれまったく違う形のカワラケを使っていたことがよく分かります。武田系とした武田氏館で出土しているカワラケは、土器の厚さがやや厚くする点を特徴としています。対して、富士系として大宮城出土や今川系とした駿府城出土のものは、やや薄く作る点がその特徴として取り上げられます。類似点を探すと、富士系と今川系の2つのカワラケに共通する要素がいくつかありますが、器の深さを見ただけでも大きな違いが認められ、同一の形であるとは言い難いものとなっています。
カワラケは、それぞれの地域において、独自の生産が実施されていたと言われています。ここで、大宮城で出土しているカワラケが、本地域特有のものであることが明らかとなるのです。この特徴的な富士氏に関連したカワラケに対して、改めて「富士系カワラケ」として呼称してみようと思います。

4.まとめ

富士氏特有のカワラケとして「富士系カワラケ」の生産が認められると、そのカワラケの登場は何を意味するでしょうか。今川氏、北条氏、武田氏は、戦国時代の中でも絶大な勢力を持つ地域領主として位置付けられ、それぞれの勢力下でカワラケが生産されていたと言えます。同様に、富士氏においても独自の生産体制を持っていたと考えられるのです。それは、恐らく、カワラケの生産に対しては、対等な立場としての領主相互の関連が保たれていたのでしょう。
富士氏は、大名クラスの地域領主としての勢力を持っていたことが、このカワラケを始めとして国産陶磁器、舶載陶磁器などの出土から明らかとなっています。しかし、今川氏、武田氏、北条氏のような領国を形成するような姿勢は示さず、今川氏の領国の中で同盟関係を結ぶことで政治勢力を維持していきます。大宮城では、16世紀において、富士系カワラケに次いで、今川系カワラケが一定の数出土しており、その状況をよく表しています。
大宮城は、11世紀後半に地域領主冨士氏の居館として築かれたようです。大宮城の歴史は、ここから始まります。この時代以降、富士氏は、地域を治める領主しての立場と浅間神社(大社)の宮司としての立場の2面性を持つこと明らかとなります。富士氏自身は、富士市東平遺跡竪穴住居で見つかっている土器に墨で書かれた「布自」(ふじ)銘のから、8世紀に、富士郡衙と富士氏の関連が明らかとなっており、奈良時代から続く有力な氏族であることが想定されています。
11世紀後半に神田川上流域に大宮城の居館と富士浅間宮(浅間大社)を築く事により、現在の信仰形態を完成させています。それは、院政期における天皇家の力が強まった時期であると同時に、末法思想が流布した時期に係るものでもありました。この時代を礎にして、富士氏はその勢力を、神官としての立場も取りながら伸ばしていきます。そして、15世紀後半になると富士氏特有の食器の製作が開始されるわけです。周辺の領主が武士としての立場の中でカワラケの製作に係ったのとは違い、直接富士山信仰に係る神官の立場での製作が行われたのです。富士系カワラケとは、このように、富士山信仰に直接係る日常の食器であると言えるのです。
昨年、山梨県教育委員会が実施した富士山2合目御室浅間神社境内地での発掘調査では、北宋銭と共に富士系カワラケの出土が確認されています。富士氏の影響が国を越えて甲斐まで及んでいることが分かる重要な事例です。
武田氏、北条氏、今川氏が使用したカワラケは、それぞれの国の神社、居館などで使われたもので、領国を特徴付ける食器のひとつであったと言えるものですが、富士系カワラケは、その境界を越え、富士山信仰に係る儀礼に係る領域に関連するものと想定されます。現在、調査・研究中ですが、富士系カワラケの広がり、分布の様子を調べれば、その戦国時代における具体的な姿が解明されるのです。
沢東A遺跡の出土例からもの分かるように旧富士郡の下方まで、富士系カワラケの影響が及んでいます。天文23年(1554)、富士市にあったとされる善得寺城において武田氏、北条氏、今川氏の3将が会盟したとされています。その際に執り行われたであろう饗宴に使われた食器としてのカワラケは、さて、どこの系統のカワラケだったのでしょうか。 

(主任学芸員 渡井英誉)

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