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オールコックの富士登山と富士宮地域

2011年05月31日掲載

はじめに

富士宮市教育委員会では、「オールコックの富士登山 —初代英国公使ラザフォード・オールコックによる外国人初の富士登山から150年」展(以下、「本展」とします)と題し、平成22年6月25日から7月11日まで、富士宮市富士山環境交流プラザ(富士宮市粟倉)で展示会を行いました。これは、初代駐日英国公使を務めたオールコックが、万延元年七月(1860年9月)に富士登山を行ってから150年目にあたることから企画されたものです。
オールコックの登山は、自著『大君の都』に詳しいほか、地域資料にもその足跡が残されています。本展では、富士山麓地域でのオールコックの姿や、初めて欧米人旅行者を迎えた地域の対応について絵図や古文書を用いて紹介しました。また、オールコック以後も、幕末期に外国人が富士登山に訪れており、地域資料から彼らの様子や地域の対応について紹介しました。

1.旅の概要

オールコックの富士登山

オールコックは、計画に反対していた幕府を説き伏せ、万延元年七月富士山へ向けて出発しました。この旅には、単なるレクリエーションだけでなく、日英修好通商条約(1857年締結)にある内地旅行権の確認や江戸を離れた地方を視察するという政治的目的もありました。
旅には、オールコックを初めとする英国公使館職員ら8名のイギリス人に加え、幕府から派遣された外国奉行役人や荷物を運ぶ人馬が随行しました。そのため、オールコックの希望とは逆に大行列の旅であったといいます。
一行は東海道を進み、吉原宿で台風をやり過ごした後、大宮町を経て村山の興法寺に入ります。翌朝、村山の法印(山伏)の案内のもと村山を出発し、「中宮八幡堂」で馬を返して荷物を強力に預けてからは、金剛杖を手に徒歩での登山を開始しました。
その日は六合目(現在の元祖七合目)まで登り、翌日無事頂上に到達しました。山頂では持参した測量機器で標高や気圧など測量したほか、英国旗を掲げシャンパンで乾杯し登頂を祝いました。その後、「一ノ木戸」(標高2160m付近)まで一気に下山し、同所に一泊した後、村山を経て大宮町に戻りました。

2.地域資料にみるオールコックの富士登山

オールコックの富士登山は大変耳目を集め、一行が通過する東海道筋では見物制止命令が出されるほどでした。地域に伝わる資料にも、当時の様子が記されています。
大宮町の造酒屋の当主の日記『袖日記』には、一行の外見や荷物、様子などについて、伝聞を交えつつ詳しく書きとめられています。当時の人々が興味深く外国人に接していたことが伺えます。また、当時、富士山の化身である天狗がオールコックの登山に怒ったため登頂できなかったとする瓦版が発行されました(実際は登頂に成功しています)。外国人の登山に好意的ではない意見もありましたが、『袖日記』などの地域資料からは、大宮町の人々が好意的かつ好奇心に満ちて彼らに接していたことが伺えます。
『袖日記』には、宿泊場所の用意や人足・馬の手配など、大宮町が一行のために様々な準備や対応を行っていたことが記されています。富士山ろくの森林を管理していた富士山御林守上役石川孫四郎の日記にも、オールコックの登山に備え、事前に富士山に登山して準備していたことが記されています。しかし、これらの準備や負担は重いものであったため、費用の支払いや負担のあり方について、登山後も長く問題になり、オールコック以降の外国人登山の際にも度々問題となりました。

3.その後の外国人富士登山

地域に残された資料によると、オールコックを含め、幕末期に5回の外国人富士登山が行われました。彼らの多くは大宮・村山口を利用し、幕末に大宮町町役人を務めた角田桜岳(佐野与一)の日記『桜岳日記』には、スイス総領事一行やアメリカ公使一行の登山の際に、付近の村々から見物人が集まっていたことが記されています。

幕末期の外国人富士登山

登山者
万延元年(1860) 英国公使オールコック(R. Alcock)らイギリス人8人
慶応二年(1866) スイス総領事ブレンワルト(C. Brennwald)らスイス人4人

アメリカ公使ポートマン(A. L. C. Portman)ら8人
慶応三年(1867) オランダ総領事ポルスブルック(D. de G van olsbroek)らオランダ人5人・中国人1人

英国公使パークス(H. S. Parkes)、パークス夫人ら10人

角田桜岳日記

『桜岳日記』慶応二年七月十日条(抜粋)
此度の異人は瑞国人なりといふ、スーエツシヤといふ、何やら咄しなから通りたり、髭赤き異人もありたり、人はアメリカ・イキリスなとゝ変りたる事なし、いつれも年よりハなかりし

『桜岳日記』慶応二年八月十七日条(抜粋)
今日異人来るとて大に見物なそ出る、国はアメリカなりとミニストル其外十人余にてクロンホウも弐人来るといふ、山宮辺・宮内辺のものサイの河原へ見に来り

おわりに

幕末、外国人公使たちは名前や姿を知られていた富士山に競って登りました。地域資料からは、重い負担を嘆きつつも彼らの訪問に対しては好意的に迎えた富士山ろくの人々の様子が浮かび上がってきます。
今シーズンも数多くの登山者が富士宮口をはじめ各登山口から富士山に登りました。登山を楽しむ際や富士山を眺めるとき、先人たちの登山やかつての山ろくの人々の姿に思いをはせていただければ幸いです。

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 文化課 埋蔵文化財センター

〒419-0315 静岡県富士宮市長貫747番地の1

電話番号: 0544-65-5151

ファックス番号: 0544-65-2933

メール:maibun_center@city.fujinomiya.lg.jp

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