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国指定史跡 大鹿窪遺跡

2011年05月31日掲載

はじめに

平成22年11月19日、国の文化審議会文化財分科会が、富士山信仰の関連遺跡・神社を「史跡富士山」として一括して史跡指定するよう文部科学大臣に答申しました。これで、富士宮市内の国指定史跡は3件目となります。
すでに指定されている国指定史跡のうち、一つは、昭和50年に指定された市内字上条の千居遺跡で「富士山の方角を意識した大規模な配石遺構があり、集落跡と複合して全貌が調査された点で学問的にも貴重なものである」として指定されました。
もう一つが、平成20年に指定された市内字大鹿窪の大鹿窪遺跡で、平成22年3月に隣町の芝川町と合併して新富士宮市となったことにより、富士宮市の国指定史跡に加わることになりました。
今回は、縄文時代草創期を代表する国指定史跡である、大鹿窪遺跡について紹介します。

1.遺跡の位置

大鹿窪遺跡は、富士山の南西部、西に天子山地、東に羽鮒丘陵を望み、北から南へ流れる芝川の左岸、西向きに傾斜する緩やかな斜面上で、ほ場整備に伴う発掘調査で発見されました。遺跡は、富士山の溶岩である芝川溶岩流のすぐ上にあり、発掘調査の時には遺跡の各所で溶岩を見ることができました。
遺跡の中心部からは、東側にある丘陵越しに、富士山の姿を見ることができます(写真1・2)。この丘陵は羽鮒丘陵と呼ばれるもので、丘陵の東側は急斜面となっていますが、西側は比較的緩やかな斜面で、その上からは旧石器時代から縄文時代草創期・早期の遺跡が数多く発見されています。

写真1 写真1 遺跡全景(南西より撮影)

写真2 写真2 遺跡中心部(調査地点1)からの富士山

2.発掘調査の成果

発掘調査の結果、縄文時代草創期を中心とした遺跡であることがわかりました。
縄文時代草創期は、氷河期が終了し温暖化に向かう時代にあたり、動植物の生態系が大きく変化した時期になります。それまでの人々は、動物を追いかけて移動を繰り返す生活を送っていました。この時期になると、煮炊きする道具である土器が開発され、住居を作りそこに留まりながら、植物を採集し魚や動物を狩猟する生活を送るようになりました。このような定住化の初期の段階が縄文時代草創期であり、大鹿窪遺跡にはその痕跡が残されていました。

遺構(住居跡ほか)

縄文時代草創期の遺構は、3か所からまとまって出土しています(図1)。

図1図1 遺構分布図(赤線の範囲は縄文時代草創期の遺構・遺物が集中した調査地点)

調査地点1では、住居跡とされる竪穴状遺構11基、配石遺構5基、集石遺構11基などが出土しています(写真3・図2)。住居跡からは壁面や外周に柱の跡が発見されました(写真4)。その内部や周辺からは縄文時代草創期の押圧縄文土器が出土しています。
住居跡が重複しているものもあり、この地で住居を建て替えながら長く生活していたことがわかります。また、住居跡の東の溶岩側には遺構のない場所があり、溶岩の前には南北に並ぶように、石を集めて置いた配石遺構や集石遺構があります(写真5)。

写真3 写真3 調査地点1(上が北)

図2 図2 調査地点1(黄色は竪穴状遺構)

写真4 写真4 住居跡

写真5 写真5 配石遺構

調査地点2では、竪穴状遺構1基、配石遺構1基が出土しています。この地点からは隆線文土器が出土しているため、地点1よりも古い時期の住居跡の可能性があります(写真6・図3)。

写真6 写真6 調査地点2(上が南)

図3 図3 調査地点2(黄色は竪穴状遺構)

写真7 写真7 調査地点3(上が東)

図4 図4 調査地点3(黄色は竪穴状遺構)

遺物(土器・石器)

当時の人々が生活に使用した道具が数多く発見されました。煮炊きの道具である土器や、植物の加工に使われた石皿・磨石や、尖頭器・石鏃などの狩猟の道具が出土しています。
 写真8は、押圧縄文土器と呼ばれるもので、土器の周りに縄を押し付けた模様が付いています。この型式の土器は、調査地点1の住居跡集中地点で数多く見つかった土器です。写真9は調査地点2から出土した隆線文土器で、細く盛り上がった線が土器に付いています。この土器は押圧縄文土器よりも古い土器とされています。

写真8 写真8 押圧縄文土器

写真9 写真9 隆線文土器

写真10の左側2点は、調査地点3から出土した槍先型の尖頭器で槍の先に付けられたものです。写真右上は小型の有舌尖頭器で、右下は弓矢の先に付けられた石鏃です。両方とも調査地点2で出土しました。写真11の左側が石皿、右側が磨石で、石皿の上で植物を加工するために使われました。これらは調査地点1の住居跡から数多く出土しています。

写真10 写真10 尖頭器・有舌尖頭器・石鏃

写真11 写真11 石皿・磨石

まとめ

大鹿窪遺跡は、「定住生活開始時期の集落跡で、溶岩や埋没谷など当時の地形が残り、土器や石器とともに当時の生活を想定させる貴重な資料を提供し、同時期の住居構造を考える上で極めて重要な遺跡である」として、平成20年に国指定史跡となりました。
大鹿窪遺跡は遺跡の古さもありますが、当時の地形が残っていて、土器や石器などから、当時の生活の様子が分かることに価値があります。その様子を留めるため、国指定史跡の範囲内には、周辺の環境が分かる溶岩や谷地形が含まれています。
また、富士山の溶岩流との関係も興味深いところです。調査地点1の直下にある芝川溶岩流の年代は、暦年代で約1万7千年前(※1)とされていて、調査地点1の住居跡は、暦年代で約1万3千年前(※2)と考えられます。また、遺跡の南側の丘を作っている溶岩流は、1万年ほど前のものと推定されます。このことから、大鹿窪遺跡では、富士山の溶岩が流れてきてからしばらくして、その溶岩を利用した配石遺構を伴う住居群が形成され、その後、住居の身近に富士山の溶岩が迫ってきたことが分かります。
現在、遺跡は埋め戻されて、地表から1~2mほど下に埋まっています。この地から遠く富士山を眺めて、富士山の溶岩を身近に感じながら、当時の人々がどのような思いで生活していたのかを想像してみるのも良いかもしれません。


※1 芝川溶岩流直下の黒色土壌のAMS放射性炭素年代測定。補正年代14000±50yBP。暦年代14840calBC。(山元孝弘・石塚吉浩・高田亮(2007)「富士火山南西山麓の地表及び地下物質:噴出物の新層序と化学組成変化」)
※2 5号住居跡覆土中の炭化材のAMS放射性炭素年代測定。補正年代10850±40yBP。暦年代10935-10865calBC。(芝川町教育委員会(2006)「大鹿窪遺跡・窪B遺跡(遺物編)」)

写真12現在の大鹿窪遺跡の様子

(主査 保竹貴幸)

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