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出土した陶磁器から見る中世における富士大宮司(ふじだいぐうじ)の姿

2011年09月22日掲載

1.はじめに(写真1・図1)

古くより富士山を祀る神社として、富士信仰の中心地であった浅間大社のすぐ東側に、大宮城跡という遺跡があります。昭和59年から平成10年の間にこれまで4回の発掘調査が行われ、調査の結果、12世紀から16世紀中頃に、浅間大社の祭主として、またこの地域を治めた領主として勢力を誇った富士大宮司の居館跡であることが判明しました。富士大宮司は、文献によると、15世紀の初め頃には「富士氏」と名乗っていたことがわかっています。出土した遺物は、土器・陶磁器・木製品・金属製品など豊富な内容を持ち、富士大宮司がどのような生活をしていたのかを知ることができる貴重な資料となっています。
今回は、出土した陶磁器のうち、貿易陶磁器と国産陶器(瀬戸・美濃製品)からうかがい知ることのできる、富士大宮司の姿をご紹介いたします。

写真1 写真1 浅間大社と富士大宮司館跡(大宮城跡)

図1 図1 富士大宮司館跡(大宮城跡)位置図

2.貿易陶磁器について(写真2~4)

出貿易陶磁器は、舶載陶磁器・輸入陶磁器ともいい、中国を主に、朝鮮半島などから運ばれた陶磁器のことをいいます。青磁・白磁・青白磁・黄釉褐彩陶器・鉄釉陶器など、当初日本ではつくることのできなかったものです。
8世紀中頃より輸入されて、10世紀初め頃までは平城京・平安京をはじめ政府関連の遺跡で主に使用されています。その後、12世紀には、全国的に流通するようになり、各地の拠点となるような遺跡で出土し、種類も豊富になります。14世紀後半から15世紀前半にかけては全国的に出土点数が減少しますが、中国における貿易統制などの影響を受けたと考えられています。15世紀以降は、染付と呼ばれる、表面に藍色の絵柄が描かれた磁器が大量に輸入されるようになります。
貿易陶磁器は、希少価値が高く「威信財」として主に各地の領主層の手に渡りました。形は様々で、碗(白磁碗・青磁蓮弁文碗・天目茶碗など) ・皿( 白磁皿・染付皿など)、盤(青磁盤) ・洗(黄釉褐彩洗) 、壺・瓶(四耳壺・酒海壺・梅瓶・花生)、香炉、合子、茶入、茶壷などで、領主たちの公的な儀礼の場や私的な宴会の場に使われ、使うことができるということを表現することで、ステイタスを誇示していたと考えられています。また、これらの陶磁器は、骨董品として伝世し、当時の領主層の文化である「茶・花・香」にも使われました。

写真2 写真2 黄釉褐彩盤・洗

写真3 写真3 白磁碗・皿・四耳壺、青白磁皿・梅瓶・合子

写真4 写真4 青磁碗・皿・盤・酒海壺

3.国産陶器について(写真5)

17世紀初頭に肥前(佐賀県・長崎県)で磁器の生産に成功するまで、中世において日本では磁器を生産することが出来ず陶器が生産されていました。中世における陶器の生産地は、唯一の施釉陶器窯である高級品から日用雑器まで様々な用途のものを生産した瀬戸・美濃、壺・甕といった貯蔵用品を主に生産した渥美・常滑などがあります。
瀬戸・美濃窯は、13世紀より操業が始まり、14世紀中頃には貿易陶磁器を真似た壺・瓶類を生産し、これらは「威信財」として鎌倉を中心とする各地の領主層に使われました。初期の瀬戸・美濃製品が出土する遺跡は限られていますが、瀬戸・美濃窯は当初、鎌倉の特注品である「誂物」を生産する窯であったと考えられており、出土遺跡には鎌倉幕府との関係の深さが想定されています。その後は、高級品生産から徐々に碗・皿・擂鉢といった日用品の生産の転換がなされ量産体制がとられるようになり、15世紀には出土遺跡数が急増し、領主層から一般民衆の村においても使われるようになったことがわかっています。16世紀になると、貿易陶磁器の喫茶具である天目茶碗を模倣した鉄釉天目茶碗や、皿、擂鉢といった日用品が主に生産されるようになります。
また、瀬戸・美濃製品は、輸入量の限られた貿易陶磁器を補うような形の器を生産することがわかっています。

写真5写真5 中国産天目茶碗(左)と瀬戸・美濃産天目茶碗(右)

4.富士大宮司館跡(大宮城跡) 出土の陶磁器

富士大宮司館跡出土の貿易陶磁器には、貿易陶磁器の中でもさらに領主層以上の階層のみが持つことの出来た黄釉褐彩盤・洗、青磁盤、白磁四耳壺、青磁酒海壺、青磁花生、青白磁梅瓶、天目茶碗、高麗青磁が含まれ、その豊富な内容から全国的に見ても有数とされています。これらは12世紀から14世紀にかけて使用されたものです。しかしながら、後述する瀬戸・美濃製品が15世紀に急増することとは逆に、15世紀後半に大量に輸入される染付は、これまでの調査においては確認されていません。
国産陶器である瀬戸・美濃製品は、手に入れることの限られた13世紀の初期の製品から出土遺跡数が急増する15世紀のものが出土しています。16世紀以降のものは15世紀のものに比べて激減します。

5.出土陶磁器から見た富士大宮司

以上のことから、浅間大社の祭主として、またこの地域の領主として12世紀頃より浅間大社の東に居館を構えた富士大宮司は、13世紀頃には鎌倉幕府と深い関連をもっていた可能性があります。中世前半の貿易陶磁器においての内容の豊富さは、当時のステイタスの高さを示しています。また、かわらけと呼ばれる素焼きの皿の出土点数割合も非常に高くなっていますが、この割合の高さは公的儀礼や私的な宴会の回数の多さを表し、そのことはそのまま階層の高さを物語っていると考えられていますので、かわらけからも、富士大宮司の身分の高さがわかります。
出土した天目茶碗や花生、香炉からは、「茶・花・香」をたしなんだ富士大宮司の姿をうかがい知ることができます。
中世前半に繁栄の様子が見られる富士大宮司ですが、15世紀後半以降、威信財である貿易陶磁器を持たなくなるようです。同時期、国産陶器である瀬戸・美濃製品は急増しますので、富士大宮司が引き続き居館を構えていたことはわかります。しかし16世紀になると国産陶器の出土数も激減しますので、中世前半には安定して繁栄していた富士大宮司ですが、戦国時代になる頃、何らかの変化を迎えていたようです。

6.おわりに

出土陶磁器について、これまで各研究者が深化させてきた研究成果から、中世における富士大宮司の姿を探ってみました。中世の遺跡には、領主の居館跡のみならず、一般民衆の集落、寺や神社などの宗教関連施設、街道沿いの物流拠点と考えられる遺跡などがありますが、出土陶磁器によって、これまで知られてこなかった具体的な様子をうかがい知ることが出来ます。

参考文献
  • 小野正敏 2000「遠江の出土陶磁器組成の特徴—貿易陶磁を中心にー」『静岡県指定史跡 横地城跡 総合調査報告書』資料編 菊川町教育委員会
  • 小野正敏 2003「威信財としての貿易陶磁と場 -戦国期東国を中心にー」『戦国時代の考古学』高志書院
  • 土橋理子 1995「11.貿易陶磁器 [1]初期貿易陶磁器」『概説 中世の土器・陶磁器』中世土器研究会編 真陽社
  • 藤澤良祐 2000「遠江出土の瀬戸美濃焼」『静岡県指定史跡 横地城跡 総合調査報告書』資料編 菊川町教育委員会
  • 藤澤良祐 2008 『中世瀬戸窯の研究』高志書院
  • 富士宮市教育委員会 2000 『元富士大宮司館跡』

(嘱託学芸員 佐野恵里)

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